ハクロプレシジョンの由来−白鷺城

 

     
  こんにちは!『ハクロプレシジョンの由来―白鷺城』です。今日も、ハクロプレシジョンの名前の元となった白鷺城のことについて、お話させていただきます!
今回は、第二次世界大戦時の白鷺城について調べてみました!
太平洋戦争にあって姫路城の白壁は非常に目立ち、また、陸軍の部隊が置かれていて、且つ軍需産業の拠点でもあった姫路はアメリカ軍の爆撃対象とされることは明らかであったため、黒く染めた網で城の主要な部分を覆い隠すこととしたのだそうです。しかし、1945年(昭和20年)7月3日の姫路大空襲で姫路城下は灰燼になってしまうんですね。城内にも着弾するが本城跡にあった中学校校舎のみが焼失しただけで、西の丸に着弾した2発は不発あるいはすぐに消火されたのだそうです。また大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発であったことなどにより、城郭建築の焼失は免れたのだとか。翌朝、焦土の中に無事に建つ姫路城を見て、城下の人々は涙したのだそうです。
姫路城は貴重な文化財なので爆撃対象とはされなかったという俗説があるそうですが、日本のほかの都市やドイツにおける無差別爆撃では歴史的建造物も容赦なく破壊されたことから、そのような考えはなかったとするのが一般的みたいですね。城内にも実際に着弾したものの、たまたま不発だったために破壊を免れただけのことであって、米軍の爆撃対象から外されていたわけではなかったのだそうです。また、当時のB-29搭乗員は「レーダーから見れば城も輝く点の一つであり、それを歴史的建造物と認識するのは難しい」と回顧されているみたいですね。

 
     


記:2011年8月18日


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