ハクロプレシジョンと白鷺城・築城者について

 

     
  こんにちは。白鷺城やハクロプレシジョンについてお話する『ハクロプレシジョンの由来―白鷺城』です。
今日も白鷺城について調べたことをここで書かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。姫路城の築城者、皆さんはご存知ですか?
姫路城の築城者は、南北朝時代・1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採用していますよね。
一方で赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、「城」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあるのだそうです。 安土桃山時代、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城には黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が城主として入り、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる城郭に改修されたみたいですね。
輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために西国探題が設置されてたそうなんですが、城主が幼少・病弱・無能では牽制任務を果たせないので担当する大名が頻繁に交替しているのだそうです。池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた酒井忠邦まで約270年間、6氏31代の城主によって治められたみたいですね。
それでは今日はこの辺で。
また次回も、白鷺城や時々ハクロプレシジョンについて、お話させていただこうかと思います。

 
     


記:2011年8月9日


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